宝塚に思う事

宝塚ファン歴約50年

中日新聞

とうとう、一般の新聞にも記事が載ってしまった。

しかも、文春の記事とは違い、一歩踏み込んだものだ。噂レベルではない事実。中日新聞とは名古屋東海地区を中心に、広く読まれている地方紙ではあるが、何と言っても中日ドラゴンズのオーナー。また東京新聞とも系列。そして、宝塚も公演し続けた今はなき中日劇場のオーナーでもある。

演劇には一家言ある新聞に事実をスッパ抜かれた。宝塚歌劇団…。もうどうすれば良いのか?

演劇というものの、特殊性も言及しているだけに…演劇関係に良心的な記事を書いてきた新聞…ごめんなさい文春とはレベルが違ってます…

多分、宝塚歌劇団を愛してくれてた側が、ついに…という感じなんです…

もう、ファンとして、ごめんなさい宙組以外の組・生徒は信じてますが、劇団を信じられなくなってます…。

今を思う

何となく、過去を思い…日常から逃げてしまっていた自分…

勿論、現実的には普通に生活をし、仕事も忙しく、ドラマや映画を楽しんでいる。

が、宝塚に関してだけは、それが許されないというもどかしさ…

花、月、雪、星はそれでも正常に近づこうとするが、何が正常なのか…生徒たちの事を思うと、いたたまれなくなり…色々な記事に心を痛める。

でも、わかってはいるつもりです…本当に大変なのは彼女たち、宝塚の生徒だということ。

だから、静かに応援したい。

宝塚回想

前にも記しましたが、中学生からの歌舞伎ファン、演劇ファンの父と高校生の時に今は無き名宝劇場で明石照子を観て宝塚ファンになった母から生まれた私は、当たり前のように、歌舞伎、宝塚に触れて育った…ただ、私が6歳のときに母が亡くなり、男手一つで喫茶店をやりながら、育ててくれた父にはこだわりがあり、小学生の高学年になったら、宝塚の舞台を観せるというものだった…低学年では、舞台が理解出来ないだろうという考えによるものだった。そして、迎えた中日劇場での観劇。当日券だったが、なんと前から3番目…まんまと父の思惑通りになった私…

その日を境に世の中は一変した…

あの頃の宝塚は、ベルばら前夜。但し、良質なオリジナル作品がひしめいていた。植田、柴田、鴨川、寺田…そこに高木先生、内海先生も存在していた。白井鐵造も存命中だった。

あれから、幾年月、むかしを懐かしんではいけないのだろうか…